前回の続き
前回⇒五十嵐大介『魔女1』:作者の表現力に圧倒される
2巻には、北欧の大いなる魔女と
生命を変容させる石を廻る物語「PETRA GENITALIX」、
からっぽな少女が、からっぽな日常を抜け出そうとして
乗った船で千足(ちたる)という不思議な瞳を持つ女性に
教えられた島で身体を満たす「うた」を見つける「うたぬすびと」の
2編が収められている。
北欧を舞台にした、「PETRA-」では、西洋文明に対するアンチテーゼが打ち出されている。
西洋文明の柱であるキリスト教、理性中心主義への痛烈な批判を
聖職者達⇔ミラ、アリシアの対立という構図で行っている。
そしてその中心にあるのは言葉に対する不信感なのではないかと思う。
言葉は世界を切り取るのに便利なものですがそこには必ず解釈が入る。
見たもの感じたものをそのまま言葉に出来るのではない。
解釈には常にバイアスがかかる。
私たちは、自分に都合のいいように世界を見ている。
つまり、私たちは「モノそのもの」を見ることは出来ないのだ。
ミラが普通の人たちの目を「ゆがんだ目」というのはそういう意味なのではないかと思う。
魔女であるミラとアリシアは、言葉を介さずに五感で世界を見ることが出来るのだろう。
見るというより感じるといったほうがいいのかもしれない。
アリシアのセリフは言葉よりも身体で感じるものの方が
大切だと言うことを現しているようだ。
そして物語はそのことを示すセリフで締めくくられる。
日本を舞台にした「うたぬすびと」では、「PETRA-」でも言われていた「身体」が
テーマになっている。
「考えるな、感じろ」と言うことか。
自分の身体にリアリティーを感じることの出来ないひなたは、
千足の言いなりに行動していることに、違和感を感じながらも教えられた島にたどり着く。
その島で世界が身体の中に流れ込んで来るのを感じ、島の祝福を受ける。
この場面の幻想的な美しさは、五十嵐大介しか描けないものだろう。
しかし、約束を破ったためにそれは名前とともに取り上げられ、またからっぽになってしまう。
取り上げられた祝福と名前は千足の子供のものになってしまう。
千足は自分が仕組んだわけじゃないと言ってるが、いやいや、どう見ても仕組んだろ(笑)
4編のなかでこの話の魔女が一番ダークだった。
もっとも、男にとって女は常に、「スモール・ウィッチ」なのだが。
(以前他のブログに書いたものに加筆修正したものです)
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