井上陽水『9.5カラット』はじめて手に入れた陽水

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音楽
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井上陽水という日本Pops史上の特異点

井上陽水という日本Pops史上の特異点

69年にアンドレ・カンドレでデビュー。

72年に井上陽水として再デビューして以来、50年以上も活動を続けている。

しかも、ただ続けているだけではない、第一線で活動を続けているまさにレジェンドだ。

井上陽水は日本音楽史におけるある意味特異点ではないだろうか?

この『9.5カラット』は、私が3つ上の従妹からもらった2枚のレコードのうちの1枚だ。

もう1枚は『ノーサイド/松任谷由実』である。

そんなこんなで、なかなか思い出深いアルバムである。

収録曲は、「いっそセレナーデ」以外は、陽水のセルフカバーとなっている。

アルバムタイトルの『9.5カラット』の意味は、「すべてがオリジナルではない」ことから、ダイアモンドの10カラットにちなんで名づけられた。

ちなみに作詞・作曲とも陽水がしているものは2,4,6,7の4曲で、作詞・曲のいずれかが他人のクレジットとなっている。

オリジナルアーティストの顔ぶれを見て分かる通り、曲はバラエティーに富んでおり最後まで飽きさせない。

アレンジは上質なAORかシティポップといった趣で、陽水自身の気障なジャケットとともに非常におしゃれ感がある。

陽水の快楽

陽水の快楽

陽水というと学者たちの研究対象にもなるシュールで何とも言えない歌詞がフィーチャーされることが多い。

しかし、私が最も「ああ、陽水だな」と感じるのは、歌詞でもメロディーでもなくその声である。

なめらかで伸びのあるハイトーンボイスは、当人が子供の時分に「自分でもうっとりするほどの美声」というほどである。

また音程も正確で、ライブでもほとんど外さないのは驚異的である。

だが、私が陽水の歌で素晴らしいと思うのはこのようなテクニックの部分ではなく、どこか俯瞰的というか歌詞の中の世界とは一定の距離を取っているように感じるところである。

もちろんこれは、多分に感覚的なことであって、陽水本人がそのように意識して歌っているかは知る由もない。

しかし、例えば、4における歌唱をオリジナルの玉置浩二と比べてみるとよくわかるのではないか。

玉置の歌唱は、歌詞中の受け身で男を待つばかりの女性に感情移入したあげく、彼女に苛立ちさえ覚えているよう感じる。

それに対して、陽水はもっと余裕をもって女性を見守ろうとでもしているように微妙に距離を置いているように感じる。

このような視線は「飾りじゃないのよ涙は」でより顕著である。

歌詞自体も、自分さえも観察の対象とするような、冷めている少女の視線そのもののように、陽水の歌はどこか他人事である。

陽水が男で歌詞の主人公が女という以上に、その視線はクールで突き放したものであると感じる。

これも、中森明菜が歌詞の中の少女と自身をどこか重ねあわせて、歌詞の中に自分を没入させているのとは対照的であるように思う。

中森明菜はこの曲で後のイメージ(ちょっと不良っぽい)が確定したと記憶していたが、実際は違ったかもしれない。

デビューから陽水は陽水だった

デビューから陽水は陽水だった

井上陽水としての再デビューアルバム『断絶』の1曲目「あこがれ」からすでに陽水は陽水であった。

いや、「陽水は陽水以外ではありえなかった」というべきか。

50年前でもありえない男女の理想像を述べた後、「わたしも“つい”、あこがれてしまう」とうそぶく。

ただ、これは単純に前近代的な制度へのアイロニーではないと私は思う。

これは、ある種の理想的な社会というものがすでにないことへの「喪失感」を歌ったものではないか?

それを、男女の理想像に仮託して、「“つい”、あこがれてしまう」というラインに放つ。

これは、失われたものへの憧憬なのだというのが私の感想だ。

このようなクールな表現の裏に潜むロマンティシズムが陽水を陽水たらしめているのではないだろうか。

おすすめトラック

おすすめトラック

私のおすすめのトラックは、1,5,7である。

1の歌詞は陽水ではなく松本隆であるが、男女の別れを表現するメロディーラインのほろ苦さときたら、陽水のメロディーメーカーとしての面目躍如という感じである。

オリジナルと比べて、カラッとドライでもう次に向けて歩き出しているような感じがある。

5は上で言及したように、どっぷりと歌詞世界に使って感情をこめて歌い上げる玉置とは対照的に、陽水は一歩引いた位置からまるで観察者の様にクールである。

玉置の方は主人公の女性に言いたいことがあるが言えないというジレンマがあるように思えるのに対して、陽水は歯がゆさを感じながらも見守っているような印象を受ける。

玉置浩二の作曲能力の高さと陽水のシンプルながら雄弁な歌詞が見事にマッチした昭和の名曲といった趣がある。

7も上ですでに説明済みであるが、外からの脅威には怯えることはないが、自分変ってしまうことを恐れている少女の表面上のクールなカッコよさと内面の純情さの二面性を見事に描いている。

この曲で、明菜は松田聖子を始めとする同期のライバルたちと一線を画し、さらなる飛躍をとげることとなる。

最後に

陽水は50年もの間、日本音楽界の第一線で活動を続けているアーティストであるが、常に一カ所にとどまることなく幾度となく変貌を遂げてきた。

しかし、彼の音楽の根底にはロマンティシズムへの憧憬が潜んでいると私は考えている。

いまや誰も語ることがなくなったロマンを曲や歌詞にこっそり潜ませることが、陽水が第一線にとどまり続けている要因ではないのか。

なぜなら、人間の欲望はロマンティシズムへの憧れの変容だからである。

陽水の音楽はわれわれのその欲望を気づかぬくらいそっと、しかし確実に刺激し続けるのだ。

そしてわれわれは陽水の音楽に“つい”、あこがれてしまう。

最後までお読みいただきありがとうございます。

収録曲( )内はオリジナルアーティスト

  1. はーばーらいと(水谷豊 )
  2. ダンスはうまく踊れない( 石川セリ)
  3. TRANSIT(小林麻美 )
  4. A.B.C.D.(沢田研二 )
  5. 恋の予感(安全地帯)
  6. いっそセレナーデ(井上陽水)
  7. 飾りじゃないのよ涙は(中森明菜 )
  8. からたちの花(樋口可南子)
  9. ワインレッドの心(安全地帯 )
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