あなたが始めて意識して聴いた洋楽は何だろうか?
私は、中学校の英語の授業で聞いた「イエスタディ」がそれである。
その後、やはり英語の授業で聞いたのが今回紹介する「ウィ・アー・ザ・ワールド」である。
このように、私はロックが人を救うことが出来る素晴らしいものだと始めから知っていたのだが、ロックを本格的に聞くようになってからその歴史を紐解くとどうやらそうではないらしい。
一般的には、ビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がロックの起源だと言われている。
「ロック」と「ロックンロール」を別物だとする考え方もあるが、ここでは深入りしない。
R&Bを基調にした激しいダンスミュージックは、それまで聞いていたニール・セダカやポール・アンカのような甘いポップスに比べて、かなり刺激的だったことは想像に難くない。
保守派は眉を顰め、ロックを聴く若者は不良と呼ばれることとなった。
ロックが誕生してから、1985年でおよそ30年ということになる。
わずか30年でロックは不良の音楽から、人を救う音楽となった。
それが果たしていいことなのかどうかはわからない。
しかし、確実に言えることはロックには人を動かす力があるということだ。
これを書いている現在、さらにそこから40年近く経っているわけだが、ロックがどうなったのかというと、1985年当時とさほど変わっていない気がする。
70年代の終わりにイーグルスがロックの衰退を謳ったように、ロックはすでに成熟しきっていたのかもしれない。
現在では、ロックは細分化され演奏や録音機材も途方もない進化を遂げた。
しかし、ロックにはいいロックとそうではないロックがあるだけである。
私にとっていいロックとはノれるかノれないかそれだけである。
バラードだろうが激しいハードロックだろうがいいロックは自然と体が動く。
ロックを聴き始めてもうすぐ40年になろうとしている。
これを書いている間にも星の数ほどのロックが生まれている。
もちろんすべてを聴くことはできるはずもないが、なるべく多くの音楽を聴くようにしているつもりだ。
しかし、なぜか自然と手が伸びるのは70~80年代のロックということになってしまう。
前回も書いたのだが、やはり原体験というものは強烈でそれはもう息を吸うこととほぼ同義なのだ。
これからも次々と素晴らしいロックが生まれるだろうが、それでも中高生の頃にロックを聴いたほどの情熱をもってそれを聴くことはできないのだろう。
このシリーズのラインナップは以下のとおり。
①パートタイム・ラヴァ―/スティーヴィー・ワンダー
Part-Time Lover/Stevie Wonder
②ホイットニー・ヒューストン「すべてをあなたに」
Saving All My Love for You/Whitney Houston
③ティアーズ・フォー・フィアーズ「シャウト」
Shout/Tears for Fears
④ダイア―・ストレイツ「マネー・フォー・ナッシング」
Money for Nothing /Dire Straits
⑤ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース「パワー・オブ・ラヴ」
The Power of Love/Huey Lewis and the News
⑥フォリナー「アイ・ウォナ・ノウ」
I Want to Know What Love Is/Foreigner
⑦REOスピードワゴン「涙のフィーリング」
Can’t Fight This Feeling/REO Speedwagon
⑧ワム!「ケアレス・ウィスパー」
Careless Whisper/Wham!
⑨ USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」
We Are the World/USA for Africa
⑩シンプル・マインズ「ドント・ユー」
Don’t You (Forget About Me)/Simple Minds
これだけのメンツを集めたマイケルとクインシーに脱帽
これを初めて聞いた中学生時分、この素晴らしいメンツを前に「紅白みたいなものだろう?」などと思った自分を殴りたい。
本当に当時のトップミュージシャンばかりだし、よくこれだけのメンツを集めただけではなくきちんとまとめ上げたものだと思う。
中には、ソロパートをもらえなかったミュージシャンいるだろうし、「曲だダサい。自分ならもっといい曲が作れる」といったミュージシャンもいたそうだが、それでもキチンと形になっている。
取り合えず、ソロパートあるミュージシャンだけでもあげてみよう。
ソロ
ライオネル・リッチー⇒ライオネル・リッチーとスティーヴィー・ワンダー⇒スティーヴィー・ワンダー⇒ポール・サイモン⇒ポール・サイモンとケニー・ロジャース
ソロ
ケニー・ロジャース⇒ジェイムス・イングラム⇒ティナ・ターナー⇒ビリー・ジョエル⇒ティナ・ターナーとビリー・ジョエル
コーラス
マイケル・ジャクソン⇒ダイアナ・ロス⇒マイケル・ジャクソンとダイアナ・ロス
ディオンヌ・ワーウィック⇒ディオンヌ・ワーウィックとウィリー・ネルソン⇒ウィリー・ネルソン⇒アル・ジャロウ
コーラス
ブルース・スプリングスティーン⇒ケニー・ロギンス⇒スティーブ・ペリー⇒ダリル・ホール⇒マイケル・ジャクソン⇒ヒューイ・ルイス⇒シンディ・ローパー⇒キム・カーンズ⇒シンディ―・ローパー
コーラス
ボブ・ディラン⇒ジェイムス・イングラム⇒レイ・チャールズ
以下略
ちょっと、「紅白」とはなんというかレベルが違うというか…。
アメリカの広さを痛感する。
そしてアンセムとなった
曲を書いたのは、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンの2人だ。
私が当時何かの本で読んだ記憶によれば、3時間ほどで作り上げた曲だということだったが、wikiを見るとどうやら違うようだ。
出来上がるまでかなり難航したらしい。
この曲の構造は至極単純で誰でも簡単に口ずさめる。
このことをあげつらって、「深みがない」だの「つまらない曲」だの言う人がいるが、そもそも通常のポピュラーソングとは目的が違うのだ。
この曲は音楽上優れているとかそういったことを目指してはいない。
むしろ、童謡や民族音楽のように覚えやすく誰でも簡単に口ずさめることを目指している。
元来アンセムとはそのようなものだし、曲の出来云々という批判は的外れだ。
ただ、曲の出来はともかく、超一級のアーティストたちの競演をメイキングビデオで見ると何とも楽しい。
なかでも、ダイアナ・ロス、レイ・チャールズ、スティービー・ワンダーあたりの歌のうまさは別格である。
これだけのメンツが、一緒に何か一つのことを成し遂げるということは、なかなかお目にかかることがない。
所詮ポピュラー音楽なんだから肩ひじ張らずに、豪華アーティストの競演を楽しめばいいのではないか。
当時から、アーティストの自己満足だという批判は少なからずあった。
しかし、ボランティアなどというものは、しょせん自己満足でしかないし、手を差し伸べる側の内心がどうあれ、それで救われるものがあるのならばそれはそれでいいと思う。
そもそも、ボランティアの動機や内心が救われたという事実に何か与する部分があるとは思えない。
そう、「成さぬ善より、成す偽善」である。
そして、その行為により救われたものがあるなら、それは「偽善ではなく善行」以外の何ものでもないだろう。
ロックが誕生して70年になろうとしている。
ビル・ヘイリーやチャック・ベリーは、よもやロックが人を救うなどとは思ってもいなかっただろう。
彼らはただ自分のやりたい音楽をやったに過ぎないのだから。
だが、ロックはその当時と変わらず、現在も、多くの人を励まし救っている。
この先、ロックはいったいどこに行くのだろう?
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