80年代半ば、デュラン・デュランをはじめとする、今で言うビジュアル系(これも古い?)バンドが雨後の筍の如く乱立した。
似たような髪型と衣装で、女の子ウケのいい曲をかっこ良く歌う。
しかし、大抵は一発屋で、光の速さで消えていった。
もちろん、デュラン・デュランやワム!は単なるアイドルバンドではなかったが。
生き残ったバンドは自作曲を演奏し、アイドルからアーティストへとその音楽性を深化させていった。
私も、デュラン・デュラン、ワム!、トンプソン・ツインズなどは今でもたまに聴いている。
むしろ最近の複雑なJ-Popよりは遥かに聴きやすいし、時代性もあるのだろうが身体に馴染む気がする。
そう、若い頃に聞いた音楽は血や肉となり自分の一部を構成しているのだ。
このシリーズのラインナップは以下のとおり。
①パートタイム・ラヴァ―/スティーヴィー・ワンダー
Part-Time Lover/Stevie Wonder
②ホイットニー・ヒューストン「すべてをあなたに」
Saving All My Love for You/Whitney Houston
③ティアーズ・フォー・フィアーズ「シャウト」
Shout/Tears for Fears
④ダイア―・ストレイツ「マネー・フォー・ナッシング」
Money for Nothing /Dire Straits
⑤ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース「パワー・オブ・ラヴ」
The Power of Love/Huey Lewis and the News
⑥フォリナー「アイ・ウォナ・ノウ」
I Want to Know What Love Is/Foreigner
⑦REOスピードワゴン「涙のフィーリング」
Can’t Fight This Feeling/REO Speedwagon
⑧ワム!「ケアレス・ウィスパー」
Careless Whisper/Wham!
⑨ USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」
We Are the World/USA for Africa
⑩シンプル・マインズ「ドント・ユー」
Don’t You (Forget About Me)/Simple Minds
風貌はアイドル然としていたが、楽曲は本格的だった
ワム!を最初に認識したのは、マクセルのカセットテープのCMだった。
特に洋楽に興味のなかった私にとって、これがワム!とのファーストコンタクトだったと思う。
「イケてる」二人組が、チャラい衣装を纏い、女性に媚びた笑顔を振りまきチャラチャラと踊りながら歌っている。
白い歯がきらーん✨と光っていた。
曲(「フリーダム」)もロリポップのようなどこかチャラい気がした。
ただ、ジョージの声だけは、「すごい!」と思った記憶がある。
振り返ってみれば、ほとんど全ての楽曲を作詞・作曲したジョージ・マイケルはかなりモータウンやR&Bを意識した曲を作り上げていてた。
ただ当時は、日本での売り出し方は、やはりアイドルデュオといったものだったと思う。
彼ら最大のヒット作となった『メイク・イット・ビッグ』からシングルカットされた「恋のかけひき」など、とてもアイドルソングと呼べるものではないのだが、ジャケットやPV の見せ方がそうなっていたのだ。
「恋のかけひき」は、マイケル・ジャクソンが歌っても違和感のない完全なR&Bであるし、ジョージ・マイケルのブラックミュージックへのリスペクトが感じられる。
「フリーダム」などとは真逆の大人のバラード
今回、紹介する曲は『メイク・イット・ビッグ』のシングルカット「ケアレス・ウィスパー」である。
「ケアレス・ウィスパー」は、厳密に言うとジョージ・マイケルのソロ作品である。
「イエスタディ」が、実質ポール・マッカートニーのソロシングルだったようなものだろうか。
サックスが印象的な、大人なムードたっぷりの哀愁漂うこのバラードだが、ジョージ・マイケルがこの曲を書いたのが17歳の時だという。
『メイク・イット・ビッグ』の発売が1984年なので、ジョージ・マイケルが21歳の時のことだというから早熟の天才だったのだろう。
多くの国でナンバーワンとなり、アメリカではビルボード年間チャートナンバーワンに輝いた。
ジョージにとって最大のヒットとなった「ケアレス・ウィスパー」だが、本人はあまり気にいっていないようだ。
特に歌詞には大いに不満があるようだが、世界中の音楽ファンに受け入れられた。
歌詞の内容は、彼女の女友達の誘いにホイホイ乗って、両方の女性を失った男の話だ。
メロディーは、どことなくオリエンタルな香りが漂い、日本の郷ひろみ、西城秀樹をはじめ多くのアジア人アーティストにカバーされた。
この曲は、『メイク・イット・ビッグ』に収録された、キーボードから始まるロングバージョンと、『ザ・ファイナル』に収録されたサックスから始まるショートバージョンがある。
PVは放送の関係かショートバージョンとなっている。
溢れる才能と早すぎた死
マクセルのCМで初めてジョージの声を聴いたとき、ビロードのように滑らかな高音に驚愕した。
ジョージ本人はシンガーよりもソングライターを志向していたようだが、単なるソングライターというには、シンガーとしての才能がありすぎた。
高音だけではなくレンジも広く、滑らかな声だけではなく、「フェイス」で聞けるような、少しハスキーな声も出せ、シンガーとしても超一流だった。
ジョージは2016年、心臓病でこの世を去った。
53歳という速すぎる死は、音楽業界とファンに強い衝撃を与えた。
80~90年代にかけて、間違いなくアイコンの一つであった。
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